うしぼく通信 vol.7 編集後記

うしぼく通信編集チームによる、編集後記。うしぼく通信制作の裏側に生まれた、誌面には残らない小さいな気づきや温度のあるあれこれ。神戸市内という消費地と近い場所で約4,500頭もの牛たちを育てる牧場だからこそ提案できる、牛とともにある暮らし。うしぼく通信の制作を重ねる度に見えてくる、今の神戸牛牧場と牛たちとのあり方をつづります。


『堆肥』を特集のメインに

リニューアルから3号目のVOL.7が無事、発刊。VOL.5はアニマルウェルフェアをテーマに、牛たちが育つ環境と牛飼いたちの心情を深掘り。VOL.6は、六甲牛に焦点をあて神戸牛牧場の歴史を紐解き、種の掛け合わせを探っていった号に。そして、今号のVOL.7は、堆肥を特集テーマに取り上げることにしました。前号の2号は、当たり前ながらも、神戸牛牧場の牛にフォーカスを当ててきました。神戸牛牧場の魅力、牛飼いの魅力、じわじわみなさんにお届けできたのでは、と思っています。

そんななか、3号目の発行に向けた、とある編集会議。“神戸から牛とある、暮らし。”の意味を改めて考えます。神戸牛牧場のお肉を食べなくとも、神戸牛牧場を知らなくとも、どこかで、消費者と神戸牛牧場がつながっている。そんな“神戸から牛とある、暮らし。”があるのではないか。実は、地域に貢献している。実は、お肉を食べなくても、神戸牛牧場の存在を深く知っている人がいる。そんな“神戸から牛とある、暮らし。”を探っていこう。
お肉を食べる消費者にはあまり知られていませんが、実は神戸の300以上の農家さんが利用する神戸牛牧場の堆肥に焦点を当て、農家さんをメイン特集にすることに決めました。

牛を育てるなら、堆肥づくりまでが当たり前


編集チームは、まず、堆肥の現場を取材しました。堆肥とは、枯れ草などの植物や家畜の糞尿などが微生物によって分解され、発酵した肥料のことです。ひとやま、高さ3メートル、120トン。堆肥小屋には堆肥になる予定の牛たちのうんちがどっさり。大量のうんちに圧倒されているところ、牛飼いの平岡さんの一言がぐさりと刺さりました。「牛を売るなら、牛を育てるところから、堆肥づくりまでやってこそだよ」と。うんちは、トイレに流す。という、とてもとても人間本位な考え方を持っていた私は、衝撃を受けました。



うんちが堆肥になるまでには、約2ヶ月半ほど。うんちを、ほっといたら堆肥ができあがるというわけでもありません。毎日毎日、切り返しという作業を行います。ショベルカーで、うんちの山をうごかし、空気の通りをよくさせるのです。手間ひまをかけて、別の形にかえる。それがめんどうな工程だったとしても、牛を育てるなら、当たり前のこと。そして、この堆肥づくりの現場は牛飼い全員が、経験する現場。『生き物を育てる』ということは、牛を育てることの一点だけではないと、感じました。

お肉を食べなくても、“神戸からある牛と暮らし”

うしぼく堆肥を使用する農家さんへの取材中は、まさに牛飼いと農家さんの好奇心と好奇心がぶつかりあっていました。とても気持ちの良い取材の空間。神戸牛牧場の堆肥はどうですか?使い勝手は?なぜこの野菜を?堆肥の使い方は?と尋ねる、社長の池内さんと藤本マネージャー。そして返答とともに、農家さんからは、堆肥の作っている現場を見てみたい!うしぼく学校での野菜と堆肥のコラボも面白そう!と勢いよくかえってくる。牛や野菜、それぞれの生き物を育てる職人同士が、同じ目線で、目をキラキラさせながら話す姿。その会話には、地域のつながり、循環などの言葉ではまとまらない、職人である生産者同士のシンプルなワクワクがあったように思いました。

お客さんに直接野菜を販売するとき、神戸牛牧場の堆肥を使っているんですよと紹介することもあるとのこと。話を聞いているうちに徐々にみえてくる、地域の中での神戸牛牧場の役割。牛を育てるだけではない、野菜や他の生き物を育てる土台をも作っている。しかも、もう当たり前に生産者のみなさんに根付いていました。最初の編集会議で、チームで話をした、実は、お肉を食べなくても、神戸牛牧場の存在を深く知っている人がいる。そんな“神戸から牛とある、暮らし。”を探った答えが見えてきました。

堆肥づくりから見えた、生き物としての姿

牛はお肉ではなく、それ以前に生き物である。生きているからこそ、うんちがでる。そのうんちが土をつくり、生き物を育み、地域のつながりをうむ。当たり前のことかもしれませんが、その当たり前のことを深く知ったのは初めてでした。

美味しいものや、体に良いものがたくさんある世の中で、食べ物を選ぶ基準はなんなのか。毎号毎号、うしぼく通信をつくるたびに思います。神戸牛牧場の想い、役割、牛飼いたちの生き様、堆肥をつくる意味などを、少しずつですが、わたし自身も学ばせてもらっています。自分の中での選択基準はでてきましたが、まだはっきり言えるような答えは見つかっていません。生き物を、食べ物としていただく毎日ではありますが、わたしたちは食べ物ではなく、生き物たちに生かされていることを改めて感じた号でした。生きている間も答えはでないかもしれない。でも、生き物をいただくということを、うしぼく通信の取材を通して、考え続けていきたいと強く思った号になりました。

筆:うしぼく通信 企画編集 株式会社KUUMA 稲垣佳乃子

 

 


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