うしぼく通信編集チームによる、編集後記。うしぼく通信制作の裏側に生まれた、誌面には残らない小さな気づきや温度のあるあれこれ。神戸市内という消費地と近い場所で約4,500頭もの牛たちを育てる牧場だからこそ提案できる、牛とともにある暮らし。うしぼく通信の制作を重ねる度に見えてくる、今の神戸牛牧場と牛たちとのあり方をつづります。
0か100ではない、グラデーションの世界
うしぼく唯一のメス牛である六甲姫牛を、「性」というテーマから掘り下げた今号。人と牛の性について、神戸女学院大学の高岡先生と会話を繰り広げました。印象的だったのが、性は男性・女性の二分ではなくグラデーションである、という話題。今回は性に関する話題でしたが、これは他の話題にも当てはまると感じます。
人が何か新しいものごとと出会った時、その対象のことを理解するための一つの方法として、既存の枠組みに当てはめてみることがあります。0か100か、AかBか、黒か白か。しかし、時間を重ねてよく観察していくと、実際はその枠組みからちょっとだけはみ出していたり、別の枠組みと重なっていたりします。
自分自身の思考や視野が狭くなって行き詰まりを感じているときは、AかBかの二元論に陥ってしまっていることが多いように感じます。そんな時に助けてくれるのは、誰かとの会話だったり、どこかで見た作品だったりします。時には、人間以外の生きものかもしれません。新しい枠組みを少しずつ増やしていきたいと、人と牛の性を掘り下げる中で改めて感じました。
そういう文脈でも、牛飼いさんの牛との接し方には学ぶところが多いです。ひとくちに「六甲姫牛」「メス牛」といっても、1頭1頭みんな違います。品種や性別などのラベルから決めつけず、それぞれの牛をよく観察し、あくまで個として接する。そんな牛飼いさんの姿勢は、人と人が接する時にも大切だと感じます。どんなに親しい間柄の相手でも、自分自身が知らない相手の一面が必ずあり、その可能性や余白があることを忘れてはいけないなと振り返るきっかけになりました。
いろんな一面を知ることで愛着が湧く
一方で、親しい人の中にも自分が知らない一面が必ずあるからこそ、いろんな一面を見つけていくことが愛着に繋がっていくということも同時に感じました。
うしぼく通信の制作に関わる前(うしぼくさんのこともまだ知らなかった頃)、自分自身にとって牛は動物園や牧場でたまに見かけるくらいの存在でしたし、牛肉は牛肉でしかありませんでした。しかし、今となっては毎号の特集内容を思い返しながら誰かに牛やお肉のことを話すシーンもあります。私たちがうしぼく通信を企画し、制作するプロセスは、牛の中にあるいろんな一面を掘り起こすことでもあります。スーパーのお肉コーナーで牛肉を見るときは、前より目につく情報や想像することが増えたようにも感じます。
今後は、牛の中にあるいろんな一面を掘り下げるだけでなく、一見すると牛と関係が無さそうなものごととの間にある共通点も見出していけたらと感じます。そのためにも、いろんな枠組みを自分の中にインストールして変化し続けることを怖がらないようにしたいと感じた今号でした。
筆:うしぼく通信 企画編集 株式会社KUUMA 木村有希